旅は人を成長させる

いまトルコの旅の中にいます。

長期の旅の場合、僕は一人の時間、昼寝の時間を一時間でも、しっかり取るようにしています。
旅先では、とても疲れるからです。

なぜ疲れるかというと、多くの印象が身体内に入ってくるからです。
これを消化するのに大きなエネルギーを使うのです。

なぜエネルギーを使うのかというと、身体内で体系の組み替えが起きているからです。
たとえば、歴史学や考古学では、遺跡で一つの意外な発見、発掘物があったために歴史認識全体を組み替えなければいけなくなることがあります。

それと同様のことが人の精神の中でもいつも起きています。
旅先では、毎日強い印象を与えられるものに出会って、激しく組み替えが起きます。
それを消化するのに睡眠や休息が必要なのです。

このことを理解しているかどうかで、起きることが全然違います。

人の性質について最も誤った考えは、人の肉体だけでなく精神も十代、二十代でおよそ成長をやめる、ということです。
これは思い込みに過ぎないのです。
誰も証明していません。

精神の要素はいつも組み替えられています。
これは成長の要素です。
世間の人は、大人になってからの人生は、ただ体験や知識の足し算だと思っているのです。
珍しい遺跡を見た。解説を聞いて歴史を知った。写真を撮った。
そんな外側で起きることだけを計算に入れます。

つまり自分自身は金太郎飴のように変わらず、外の知識だけが増える、というイメージを描いているのです。
これはもったいないことです。

このようなイメージを持つかぎり、組み替えは最小限しか起きないからです。

僕はむしろ身体内に取り入れて違和感を持つような印象や存在をピックアップしていきます。
それは景色であったり、路傍の石の形であったり、人々や動物の姿や雰囲気だったりします。
頭で考えるのではなく、そういう印象そのものが自動的に消化されていきます。

住居である東京にいても、同様のことは起きますが、旅先では爆発的に量が増えます。
メンタルが弱い人が行動力を失ってしまうのは、この印象の消化能力が弱っているからです。

人は何歳になっても成長するということを知ってください。
一つの印象、一つの知識が入ってきたときに、きちんと組み替え行っていくと、本当にいつまでも成長する活力が湧いてくるのです。

僕は五十九歳になりますが、いろいろな人に「僕はまだ成長している」と言ってみることにしています。

ところがこれには全く反応がありません。
「それはすばらしい」と言った人いません。
冗談として笑った人もいません。
「そんなわけないだろう」と口に出して否定した人もいません。
今までのところ100パーセントスルーです。
このことについて意見交換できなくて、たいへんさびしいです。

つまり、「人は何歳になっても成長する」という概念自体が多くの人にとっては異物なのです。
それを仮定としてでも受け入れると、自分が無意識で受け入れている考え方の体系を組み替えなければいけなくなる。
成長を否定する精神は、今ある枠組みを使っていくだけで、組み替えはしないのです。
つまり、まともに検討するだけでもしんどいので、無意識で否定して、そのエネルギーを自動的にカットしているのです。

筋肉は負荷をかけることによって発達しますね。
精神も同様なのですが、自動的な省エネモードに入ってしまうと、楽な代わりに発達もしません。

捉え方一つであらゆる体験が自分自身の成長の糧となるエネルギーになるのにもったいないことです。

旅先で疲れるのを移動の疲れとか、時差ボケだとか、食べ物が合わないだとかと捉えるのはつまらないことです。
そう捉えると、旅先で具合が悪くなったときになかなか回復しません。
「あ、成長してる」と思って身体を休めることです。

新しい印象はあなたに成長を促しているのです。
それを素直に受け入れずに、無意識に抑圧してしまうと、それが身体の不調となって現れるのです。

(旅先で夜中にこんなことを書いているのも消化活動の一つ♪)

内臓でピアノを聴く/赤松林太郎さんの”Cimarosa and Mozart” on Public Recording.

*
今、内臓と音の関係を調べている。
調べているといっても自分の体感を通じて調べている。
何事も機械で計測するようになると、体感は「あやふや」なものと考え、扱う人が多くなるが、それこそ現代教育が作り出した病巣である。
体感に耳を澄まし、体感を使ってやるようになると、じつにいろいろなことを教えてくれるし、豊かな世界が開けてくる。
僕はいまそれを世の中で流通しているものと全く別の体系の原理として定着させようとしている。
それが人類を幸せにすると思うから。

そんなこともあり、昨日は赤松林太郎さんの恒例の公開録音コンサートに行ってきた。
「内臓と音」という僕としては純粋なテーマを持っていったわけだが、音楽の聴衆としては、純粋どころか不純、異端であるに違いない。
申し訳ない。

今回の公開録音に対して、赤松さんは事前にこんなことを書いている。

「モーツァルトのピアノ協奏曲を弾く時、本番前の一週間はモーツァルト以降の作品を練習しないようにしています。今回も同様、タッチを含めた身体の感覚を徹底的にリセットして、18世紀まで戻します」

こういう真摯な態度であるから、聴くほうも身が引き締まる。本当は斎戒沐浴して伺いたいくらいだ。
しかし、実際はいつも日常のだらしない気分と身体のまま伺って、超絶技巧の音のシャワーで禊するという具合になる。

赤松さんは一流のピアニストであるだけでなく、6カ国語に通じ、喧嘩は強いし、頭もいい、文章もうまいという全方位的な超人だけれども、その紹介はおく。

最初はチマローザのソナタ。
これは楽譜がいくつもあり、曲番すらバラついているらしい。それを赤松さんが比較対象、吟味評価、構成して演奏する。
一曲ずつはごく短いものだ。

最初の数曲は小料理屋の付きだしのように軽快な曲。
肺のあたりをつまさき立ってはねていくような感じ。バレエもそうだが、西洋人には地上の引力がないかのように身軽でいたいという志向があるようだ。
だからといって空中に浮遊するわけではない。
地上に降りることがわかっているのになぜ彼らははねるのか。

チマローザの後半以降はもっと多様だが、短く内臓的に聴くのは追いつかなかった。
短いだけに「人間的苦悩」というようなテーマにも深入りしない。
これらの楽曲は時代的に宮廷での「ちょっとしたお楽しみ」というようなものだったのか。

第二部はモーツアルト。
サリエーリの歌劇「ヴェネツィアの定期市」のアリア「わがいとしのアドーネ」による6つの変奏曲。

つまり、これはモーツァルトの曲なのだろう……。
これは頭部にくる。脳の内外にさまざまなイメージが明滅する。

そのあと印象はごちゃまぜになってしまったが、赤松さんが「モーツァルトの本質はデーモニッシュ」と紹介した『幻想曲ニ単調』は心臓と胃のあたりがぎゅっと締まった。

音程は高いほど単純に身体の上部に響く。
波長の短い音を人がなぜ「高い」音と呼ぶか。
それはこの体感に結びついている。
後の食事の席で赤松さんに言ったら「そうです」と短く同意された。

モーツァルトのこの曲はちょうど心臓から胃のあたりにメインの音があり、そこから腸や肺に運動していく。

内臓は基本的に長調の音が好きだ。
長調の音では拡張する。
短調では収縮する。

この収縮と拡張が律動や解放感と結びついて行く。

音の波動の連鎖がなんらかの情動を生み出すのは、感情に直接的な相似形を生み出すのではなく、内臓への共鳴がさまざまな感情の記憶を生成する、というのが僕の観察だ。

この音楽理論は僕は昨日発見・確認したのだが、誰か言った人がいるのかな。
とても単純なことだから、誰かが発見していて不思議はない。

身体の話をしていたら赤松さんが
「村松さん、今日のコンサートで僕がいちばん疲れた部分はどこだと思います?」と聞いて来た。
「もちろん全体に疲れるのですが、それだけでなく今日は身体の一部をすごく使ったのです」
んー。聴いたほうとそれは一致しているのか? わからない。

「眼ですよ。どんなに小さな音も粒だちをつぶしたり曖昧にしたくない。それで一音も逃すまいと眼を凝らしていたら眼がものすごく疲れたのです」
音の粒を見る。文字通り見ている。すごい。

内臓で音を聴く聴衆がいて、音を眼を凝らして見るピアニストがいる。
そのように体感が拡張された世界はあなたのすぐ隣にあるのです。

一なるものに還る

NHKで仏教番組を見ることがある。抹香臭い挿話がときどき面白い。
先日は尼僧が「自分はダメとわかる自分に仏性がある」という意味のことを言ったが、これは間違いだ。

「自分はダメだ」という自分は、「ダメだと指さされる自分」と分断されている。
自分を分裂させることによって、「ダメだ」と指摘する自分は自責を逃れる。その上澄みが架空の自分を指さして断罪する。この構造が無限に繰り返されるのが日本の大部分のうつである。

自分はダメだと言ってふんぞり返っている自分こそ撲滅の対象なのである。
じつはダメだ、と言いながら、そのように残酷に分析し断罪する自分は賢いと酔っていたりする。

そいつがいちばんダメなのである。
自虐して脳内麻薬をすするジャンキーな蜘蛛である。
うつの人の「私」はたいていこいつに喰われている。

自分の中に分裂を作り出すことはよくない。
自分の生命力を一つにするように働くべきだ。

仏教もそうだ。
自らの多様化を恥じ、単純な教えに帰一しようとしないと更新されない。
仏教の改革者はそういう人であっただろう。

【内臓ダンス】モニター募集(終了)

*

またしても、すごい発明をしてしまいました。
【内臓ダンス】です。

人を健康にする新しいダンス芸術です。
人の身体・健康に関する概念を根本的に転換してしまうかもしれないものです。

ついては下記の要項でモニターしてくださる方を募集します。

●モニター募集●

【内臓ダンス】とは、内臓をイメージ、あるいは意識によって踊らせるものです。

■資格
*最低2週間は1日10分程度、内臓ダンスを試してくださる方。
その結果を基本的に毎日メールで報告くださる方。

■特典
いちはやく【内臓ダンス】が何かを知り、試すことができること。
「内臓ダンス解説テキスト」をお送りします。
またうまくできない人、特有の症状でお困りの方には、個別の指導をいたします。

■期間
申込日から基本2週間。朝晩5分間試していただきます。
その後もご自身で続けることができます。
これを読まれている現在は受付中です。

■申し込み

下記メールアドレスまで。

氏名
性別
住所(都道府県まで)
職業
年齢
平常体温(わからない人はその日の体温)
お困りの症状や病気(があれば)
その他メッセージ(どこでSBAや村松を知ったか、など)

sba@hiden.jp
(sba@hiden.jp:@を小文字に変えてご利用ください)

無料のモニター募集は終了しました。

身体の因果パズル

*

病や症状が理不尽に自分を襲って来ると感じている人がいるかもしれません。
でも、身体はこの世でいちばん理に適っているので、原因がないことには結果がないのです。

ただ、不都合があると簡単に薬を飲んでしまうと、それを読み取れません。
薬品自体がまた原因となるプロセスが始まるからです。

僕もふと今朝気づいたことがあります。

ここのところ、夜寝ても、昼寝しても、スカっと目覚めないのです。
身体がぼうっとして重く起き上がりたくない感じ。

その原因がわかりました。

単純なことなので、笑わないでくださいよ。

その原因は

「クーラーつけっぱなしで寝ていたこと!」

今年の暑さはただならぬものがあるので、遠慮なくクーラーをつけていたのです。
それで、この季節に出るべき汗が体内に溜まっていたのです。

そんな単純なこと、と思うかもしれませんが、身体に関わって来る要素はたくさんあるので、まして自分のこととなると、なかなかつかまえられないのです。

クーラー全廃はできませんが、ときどき弱めたり、今までより汗をかいたりしようと思います。

みなさんも体調が悪いとき、薬を飲んだり医者にかかる前に、これはどこから来ているのだろう? と考えてください。
それはとても柔らかいパズルです。