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今日は二日酔いだ。

先日、ある芝居を観に行ったときに、客席で役者、演出家のTさんと会い、当然のごとくそのあと、飲みに行った。
Tさんが癌だ、とそのとき本人の口から聞いた。
Tさんのいつもの飄々とした話し方や、表情は変わらない。

そのときにいろいろ話をしたら、電話がかかってきた。
「オレの癌のこと、いろんな人が心配してくれてさ。悪いんだけど、そういうことをムラマツのところで飲みながら、まとめて話す会をしたいんだけど……」

僕のほうにもちろんノーという返事はない。
少しでも役に立てるならうれしい。

そんなわけで、昨日は本人とパートナー、僕を含めて7人の宴会。

最初はややしずしずと始まったが、いやあ、そのあと、皆さんたくさん飲んだ、喰った、話した。
こんなににぎやかに癌の話をする集まりってあまりないのではないかな。少しも湿っぽくない。癌はかなり進行しているが、まだ自覚症状はないということもあるだろう。
当のTさん自体が、ギャグをいう機会をいつもうかがっている。

しかし、話の中身は濃かった。本人が癌を克服した人、家族を癌で失った人。僕ももう40年も前に母を癌で亡くしてるから、癌は本当に日常の近くにある。

その話し合いの詳細はいろいろありすぎてとても紹介できない。
僕が言ったことは、

*何十年も癌と共存して生きている人はたくさんいる。
*現代医学以外の選択肢は、多様にある
*病院に入院してしまうと、医者のペースでものごとが進み、まな板の上の鯉のようにならざるを得ない。
*生きる意欲や喜びが失われては何もならない。喜びは治癒の力になる
*今まで以上にお芝居をしたり、若い役者さんのワークショップをしたりしたほうがいいのではないか。
*酒はいいが、タバコはもちろんやめなさい。
*睡眠時間は4時間では短かすぎます。週に3日は仕事を休むように

会話のやりとりの中で話したのは、だいたいそんなこと。

もう20年以上も医療ライターをしているOさんも来た。僕は彼女を大学時代から知っているけれども、偶然Tさんのファンでもあって再会したのである。
医療ライターの中でも、彼女は自分でできる健康法などを中心に雑誌に書いている。自分でできるといっても、それの裏付けをするのは医者なので、やや現代医学寄りかなと思っていたのだけれども、違った。
よく知っているだけに、いちばん激烈に現代医学を批判していた。

家族を癌で失ったときの心ない医師の対応や、治療方針について従わないと脅迫じみた言い方をすること。「あなたのせいで**になってもいいのか?」ということを平気でいう。患者の生きるモチベーションを否定するような無神経な言葉遣いをするし、意気沮喪させる……などなど。

面白かったのは、丸山ワクチンは「永久治験薬」という不思議なポジションなっている、という話です。
丸山ワクチンは何十年も前からあるし、癌を治しているのですが、決して承認されないのです。厚労省や大手製薬会社は、できれば弾圧して潰してしまいたいのですが、治った人がいるから、それはできない。
だから、特別な扱いで生殺しにしているのだ。

ここに丸山ワクチンの話がある。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=5124

「丸山ワクチンを十倍に濃縮したアンサー20は、白血球減少抑制剤として承認を受け、現在は子宮頸ガンへの効能指定拡大を目指しています」
と書いてある。屁理屈はつくかもしれないが、明らかに矛盾した扱いだ。

でてきた話をこういう調子で書き出すとキリがない。

Tさんの癌の話をするというから、場合によっては現代医学の信奉者がいたら、論争しないといけないかな、と思っていたが、驚いたことに昨日の7人の間では、そういう論調は少数派だった。

放射線や抗がん剤は誰もが論外として、手術は受けてほしい、という声はあった。
それは、悪いところは切り取って全快した、とすっきりしたいのだとろう。その気持ちはわかる。

でも、体内環境を空気に晒すこと自体が悪いし、ものすごく体力、免疫力を奪う、ということについては意見が一致した。
10数時間の開胸手術が必要ということで、かえって癌を刺激することになる可能性が高い。

医師でないものがこういうことを語り合う、というだけで、「素人がもの言うな」と奮然と怒り出す人もいるかもしれない。それが立派な洗脳なのだ。

現代医学に治療を丸投げすれば、どんなにベッドに縛り付けられて自由を奪われ、苦しんで亡くなっても、遺族は「最善を尽くした」といえる。
その過程で医療のやり方に不満があっても、それは愚痴にしかならない。そういう不満はよく聞く。

他の方法を選択しようとすれば、「どうして病院に入れないんだ」と善意のような顔をした非難が降り注ぐ。
「死んだらお前責任とれるのか」というわけだ。

それが洗脳であり、脅迫なのだ。

病院に入院して亡くなったとき、誰かが責任をとることはない。
入院を勧めた人が反省したり、謝罪したりしない。
入院を勧めて「死んだらお前責任とれるのか」と言われるとは全く思ったこともないだろう。
医師も最善は尽くしました、というばかりだ。

人は死ぬときは死ぬ。
生も死も、ご当人以外のものではない。

Tさんは最後まで(後半酔って眠そうでしたが)話を聞いていた。そして結論的なことは言わず
「今日から考え始める」と言った。

みんなの意見は聞いたから、後は自分で決めるということだ。
それは演出的にもたいへん正しいおさまりだと思う。
もし、その場である人の意見を取り上げたら、その人にも責任の一端を感じさせてしまう。

最後にTさんは「これ月例会にしない?」とたぶんかなり本気で言った。
オープンにみんなで話し合えたことで、少し気持ちが軽くなったのではないだろうか。
Tさん、こういうメンバーなら月例会歓迎です。また呑みましょう。

癌について語り合った日

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