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3日ほど前からの痛風でまだちょっとびっこを引いています。「医者の不養生」ならぬ、「SBAの不養生」で、なんだ自分の痛風も治せぬのか、と思う人もいるかもしれません。

旅行中、おいしいものに出会い、かなりの暴飲暴食をしたし、強行軍だったので、痛風が出るのは仕方ないのです。
これ以上はダメよ、という危険信号としての症状なのです。
もし、そのまま食べ続ければ別の部分が壊れる。
だから、痛風が出ないより、出たほうがいいと僕は考えます。

痛風は「風が吹いても痛い」ほどの激痛が走るところから命名されたらしいのですが、僕のはそれほどでもありません。
10年も同じレベルに留まって悪化しません。
いつもあれこれ無理を重ねたときに訪ねてくるのです。

一般に足の指先からなるケースが多いようですが、僕は左の足の甲、くるぶしのあたりがなります。
だから、すぐに歩行に困難を来すのです。
もし足の指先であったら、 養生せず誤摩化して歩いて悪化させていたかもしれません。
無理をストップさせてくれる意味で、とても「よくできた」身体なのです。

だから、僕は明日まで5日間、身体を休ませるために一滴もお酒を飲まないのです。
僕は人よりも酒を飲みますが、精神的にも肉体的にも依存していません。アル中ではないと自他に証明できるわけです(笑)。

病気が教えてくれることは多いです。

何よりも、健康のありがたさがわかりますね。

もう10年近く前のことかもしれません。
僕はある病気で死にかけて、一月近く話すことも食べることもできず、ようやく歩けるようになって、病院の窓から見下ろした景色を忘れません。

歩道に通行人がいるだけの何でもない景色でしたが、まだ退院のメドがたっていない僕には、そこを歩いている人がうらやましくて仕方がなかった。

そこには無限の可能性があって、生が輝いているように見えました。
今はどうでしょう。喉元過ぎれば熱さ忘れる、という部分もありますが、やはり死ぬときに気が澄んでいるようにしよう、なるべくやり残したことのない人生にしようと思うようになったと思います。

僕は蠍座で、死と再生の星なのです。一体何のことだと思っていましたが、これは一つの死と再生であったかもしれません。
3.11はもう一つの死と再生でした。

2度の通過儀礼を経て、生きることをいくぶんかシンプルに見るようになった気がします。
シンプルというのは、したいことをしておかないともったいないよ、ということです。

それからの探求で、僕はSBAという生涯のテーマでもあり、羅針盤でもあるものを見つけたのです。

病気や症状が教えてくれるものはそれだけではありません。

僕の痛風の症状は捻挫に似ています。最初は痛風の診断がくだされるまでは捻挫だと思い込んでいたくらいです。
そうなると、無意識に痛い、あるいはひっかかる部分をかばう歩き方になります。

そうして歩いていると、痛む左足はもちろん、反対側の脚の不思議な場所の筋肉が張ってきます。
やがて腰にも響くようになります。
そして、最後に肩が凝ります。
だからとても疲れます。

つまり、痛みを庇おうとする動作が新たな負担を身体にかけだすのです。

武道やヨガの達人であれば、痛む筋肉がどこでどの方向に動かすと痛いか、もっと限定できるのかもしれません。
何かもっとよい身体の使い方あるのかもしれませんがよく分析できません。

ずっと痛いままであれば、たぶん今凝っているところの筋肉が発達するのでしょう。
その分身体のバランスは崩れて行くわけです。

そういうことを観察していると、身体というのは不思議だな、と思います。身体のどの部分が凝るかはわかりますが、なぜその部分に負担が来るのかは分析できません。
完全に歩行不能になるのではなく、イレギュラーな形でも歩くことができるというのも身体がよくできているところです。

僕はこの状態になると、いつも心のことを思い浮かべるのです。

心も痛いところ、弱いところを避けていると、別のところに負担がかかるのです。
子どもの頃に虐待されたり、何か酷い言葉が心に刺さったりして、その場で癒されることがないと、心はその上に何重にもかさぶたを作ります。

それで当面の痛みは遠ざかるのですが、エネルギーがそこを避けて通る分、他の部分がバランスを欠いた発達してしまうのです。

だからメンタルな症状は癒すのが難しいのです。
心の歴史を遡って、かさぶたを溶かし、剥がしてやらなければいけません。

しかし、それは他人にできることではなくて、最後の最後は本人の勇気や大胆さ、そして賢明さが必要なのです。
それがなくてはSBAだけではどうにもなりません。

痛風の症状が出るとひょこひょことびっこを引きながら、いつもそんな身体と心の相似形について考えたりしているのです。

そして、回復したらあれをしよう、これをしようと思いをめぐらせたりするのです。

痛風の話/ 病気に学ぶこと

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